記事: 08. アーティスト 今野絢
08. アーティスト 今野絢
アーティストを志した経緯を教えてください。
今野:実家が印刷会社だったので、余ったミスプリントの紙がたくさんありました。それを自分で綴じてスケッチブックにして、小さな頃から絵ばかり描いていましたね。みんなから「ケンは絵描きになるだろう」と言われていたので、志したわけではなく自然と絵描きになると思っていました。
25歳で渡英した理由を教えてください
今野:中学生の時に、音楽のジャンルとしてロックが誕生しました。英語だから意味はわからないけれど、音を聞くだけでしびれましたね。それで1972年、生でロックを聴きたくて、当時世界で一番輝いていたロンドンへ1ヶ月間行きました。Roundhouseというライブハウスへ行き、生まれて初めてロックのライブを見たのがジェフ・ベック。それはもう感激で、俺はもうここで生きるべきだと勘違いしちゃって笑。それで翌年、全てを売り払って片道切符でロンドンへ移住しました。でも、今の僕の財産はそこにあるのです。本当にゼロから何が出来るのかというところから今があるわけで、その自信が貴重ですよね。
そこから、ロンドンでアーティストとして活躍するに至った経緯を教えてください。
今野:半年は食べていけるお金は用意したつもりだったけれど、物価が高くて2ヶ月ぐらいで底をついてしまい、とあるハンバーガーショップで皿洗いをしながら、仕事の合間に隠れてお客さんの絵を描いていました。ある日、お客さんのおじいさんに絵を描いていることが見つかってしまい、怒られるのかと思ったら「明日、人を連れてくるから描いてほしい」と言われて。翌日、連れてきた女性を描いてあげたら、とても喜んでくれました。それが評判になって、描いてほしいという人がいっぱいお店に来るようになったのだよね。その中にロナルドという有名なマネージングがいて、「他にも描いた絵を見せて」と言うので、たくさん絵を見せたら「ちょっと貸して」と言って、全部持っていってしまいました苦笑。そうしたら1週間後に彼が戻って来て、ファッション雑誌に掲載する秋のヘアトレンドをイラストで描く仕事を6Pも取ってきてくれたのだよ。この仕事ができればロンドンで成功できる、できなかったら一生皿洗いと思って、無我夢中で描きましたね。それが雑誌に掲載されたことで有名になり、晴れてアーティストとして認められた。ロナルドが「俺が仕事を取ってきてやるから皿洗いの仕事は辞めろ」と言ってくれて、以降8年間、僕のマネージャーをしてくれました。それから2年後にはワークパミット(労働許可証)、その2年後には日本人で初めてイギリスのアーティストビザを取ることができました。
帰国した理由や帰国後の活動内容について教えてください。
今野:1970年代は、世の中で一番面白いムーブメントが起こっていたのがロンドンだった。それが80年代には、ニューヨークへ移っていき、ロンドンのアーティストたちもニューヨークへ移住して成功し始めていくのですよ。そうしたアーティスト仲間から「ニューヨークは面白いぞ。グリーンカードの推薦状を書くから、お前も来い」って連絡が来るのですよね。だから、その気になってニューヨークへ行くパッキングをしていたら、母親から父親の死を伝える電報が届いたのです。それまで一度も日本へ帰っていなかったので、とても罪悪感を感じました。それで、ニューヨークへ行くのをやめて帰国しました。帰国後は、出会ったドイツ人フォトグラファーのアンドレアスと広告代理店AD-media(現ad-comm)を立ち上げ、先月で35周年を迎えました。僕は絵描きに戻りたくて2014年に足を洗いましたが、今では150人もの従業員を抱え、クライアントはBMW、Porsche、TAG Heuerなどヨーロッパ企業ばかりです。
アート制作における一貫したテーマがあれば教えてください。
今野:平和性ですね。小学生の時、実家近くのお寺には「地獄の間」と「極楽の間」がありました。「地獄の間」は、舌を抜かれたり、目を取られたり、血を抜かれたり、壁中に恐々しい絵が描かれていた。一方で、「極楽の間」は大きなハスの花が描かれていただけ。それを見て疑問に思ったのは、人間はネガティブなことが好きで、そういった怖い場面はいろいろ想像することができるけれど、ポジティブなことや幸せなことはイメージが湧かないということ。だから、美しいことや平和なことを描くことに挑戦しています。
今野さんはアートだけではなく、茶道や居合道など、日本文化の精神や美意識を発信されていますが、何がきっかけだったのでしょうか?
今野:ロンドンでアーティスト仲間に「お前の中で、神道イズムはどういうポジショニングなのだ」とか散々聞かれたけれど、当時はブディズムと神道イズムの違いもわかっていなくて答えられなかった。それがものすごく恥ずかしかったし、それでは誰にも信用されない。自国の文化を知らないで、イギリスの文化をわかるわけがないだろうと言うことです。向こうで彼らと対等に仕事をするのであれば、ちゃんと日本のことをわからなければいけないと思った。だから、帰国したらサムライがやっていた2つのこと「文武」をやろうと決めていました。「文」が茶道、「武」が居合道。この2つをやれば、彼らに聞かれたこと、彼らが知りたかったことを答えられるだろうと思って始めたのです。茶道は20年以上やっていて裏千家茶道の師範ですし、田宮流居合道は5段です。でも、これは趣味でやっているわけではなく、全てアートのためなのです。
アートの魅力やアートが持つ力を教えてください。
今野:最近、これからの未来の経営者、経営学者にアートを教えています。なぜ、彼らがアートを知りたいのかというと、これまでは頑張って知識をつけて、経験を積み、それを増やしていけば達成できたけれど、今は何もないところから新たなものを生み出す、0から1にする発想が大切なのです。それがアートの世界だし、アートにはそういった力があるのです。
睡眠や日々の生活でこだわっていることはありますか?
今野:自分に合わせて何かをするのではなく、寝ることも食べることも全て、こちらが対応するように生きています。動物だってそうでしょ。
モーニングルーティンがあれば教えてください。
今野:起きたらすぐにベランダへ行き、必ず裸眼で太陽を見て「今日も1日、お命をありがとうございます」と唱えています。そして、命があることに感謝して「嬉しい、楽しい、感謝しています。ありがとう。許します」と続けて唱える。そうすると朝からすごく気分がいいのだよね。今75歳だけれど、日々感謝ばかりです。
睡眠の重要性をどのように捉えていますか?
今野:リボーンだね。寝るという行為で、きっと1回死んで生き返る。実際、明日起きないかも知れないという覚悟もあるしね笑。毎日、睡眠することで生まれ変わり、夢の中でいろいろな旅をしているのです。
Text & Edit:Kazuhiro Hasegawa(no name books)Interview photos:Kazuhiko Tawara(magNese inc.)
睡眠とは
幼少期から絵を始め、1973年、ロンドンへ移住。アーティストビザを取得し、エリック・クラプトン「Just One Night」のレコードジャケットやスタンリー・キューブリック「Barry Lyndon」の映画イメージなどを手がける。1981年に帰国し、広告代理店AD-media(現ad-comm)を設立し、主にヨーロッパ企業の宣伝広告やブランディングに携わる。現在は同社を退社し、画業アーティストに専念中。